なんとなく、思うことを思うままに書いていきます。いつも以上にまとまりがないと思います。
最初は新人賞を獲りたかった
初めて原稿用紙換算72枚の小説を書いて、文芸誌の群像に投稿したのが、もう約3年前になるのか。
72枚ってのは、足して足して、70枚を無理やりオーバーさせたんです。新人賞の応募規約が70枚以上だから。
それ以降、新潮や文學界、太宰治賞……色々と応募していきます。
結果は、すべて一次選考も通らずに落選。
小説教室に通う
これはだめだ、何か致命的な欠点があるに違いない。
他者の目がほしくて、小説教室に通い始めます。
色々な人に作品を読んでもらって、自分が一次も通らなかった理由がわかりました。
自分の中で世界が完結してしまっていて、他者がどう思うかを考えていない。
はっきりそう指摘されたわけではないのだけど、自ずとそう感じられました。
なぜ小説を書くのか?
誰かに読んでもらいたい。それに尽きます。
新人賞に送るのだって、受賞した先には読者があるからです。
私は、もう人生を終わらせてしまおうと思っていたとき、文学に救われました。だから、私も文学をやって、広く世の中に問いたかった。
苦しい人を救いたいとか大層な気持ちはないけど、寄り添うような作品を書きたかった。
しかし、ここで友人(のちに喧嘩別れした)がいいます。「文学の役目は人に寄り添うことじゃない」
それはわかってる。所詮文学は娯楽です。でも、娯楽があるから頑張れる人、多いでしょ。
まあ、話がそれましたが、とにかく読んでほしかったんです。
教室に通い始めたのだって、実力をつければ、教室の向こう側、つまり一般の人々にも届いて読んでもらえることになりうるから。
じゃ、目標は新人賞なの?新人賞は受賞しないかぎり、読者の目にふれる機会は皆無です。
たとえば、戦場をネットやセルフパブリッシングにしてみては?その方が読んでもらえるよ?
自問自答を繰り返す。
そして一応、結論づけた。
書きたいことはなに?
まず、自分が書きたいことを、改めて考えてみる必要がありそうだと考えました。
書きたいこと、つまり伝えたいこと。
最近の私の小説のテーマは「狂気」でした。村田沙耶香さんや中村文則さんが好きなので、多大に影響を受けていると思われます。
しかし、この間教室で作品を読んでくれた人に「怖い」と言われてしまいました。
狂気を書くのに夢中になっていて、読む人がどう感じるのか考えていなかったと気づきました。怖がらせるのは本意ではないはず。
プラスの感情へ至れる娯楽を書きたいんだから。
では、なにを書くべきか?今までの私の人生の中で、言いたいことはたくさんある。自死や障害、孤独。
こうして書き出してみると、娯楽になり得なさそうなテーマばかりですが、当事者やその家族、欲を言うなら今までそれについて考えて来なかった人に届けばいい。
娯楽になるかはわからない。どう思われるか推測するのもあつかましい。でも、ただ届いてほしい。
だから私は、多くの人にいつか届けるために、自分の持ちうるテーマをできるだけ多く、がむしゃらに書いていく。独りよがりにならないように、周りの意見をよく聞いて。
戦場を考えるのはそのあとでいい。
以上です。とりとめない文章に、ここまで付き合ってくださりありがとうございました。