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いや、もう第一弾はこれしかないでしょう。という堕落論。

持ちすぎ。

よく、堕落論と検索すると「堕落論 わかりやすく」「堕落論 あらすじ」などがサジェストされる。

いやいや、これはそういう性質の作品じゃない。各自の思ったこと、直感的に我が身に重ねた気持ちが全てでしょ、と首を横に振った。

と、いうわけで、いい機会なので堕落論、読み返してみたんだけど……

あれ?これは確かに難しいな。

初読の時、ビビビっときた。難しいとは一切思わなかった。その時の話をします。

堕落論を初めて読んだ時、私は自分の人生において貫こうとしていた信念を挫かれたというタイミングだった。

私は信念を持って福祉の仕事をしていたのだが、上と対立してしまった。結果的にパワハラの末、病みに病んで退職した。

(というか、自殺を考えていることを打ち明けてくれた先輩もいたくらい、ハラスメントに問題のある法人だった。誤解を恐れず言えば、上は私達を自殺させたがっていた)

(似たような話を他業種からも聞く。上が下を自殺させたがる社会なんてディストピアもいいところだ)

私は父親を自殺で亡くしているから、自殺を考えている人たちをなんとか楽にしてあげたいという気持ちから、精神保健福祉士の国家資格をとった。これでやっていくのが自分の使命だと思っていた。

そう、一生それをやろうと思った。でも、もう二度とできない、やらないと思った。人と極力関わらない、食器洗浄のバイトを始めた。私は、自分がとんでもなく堕落してしまったと感じた。

だから、タイトルに惹かれて堕落論を図書館で手にするのは、なんら不思議でないことだった。

生きよ堕ちよ。

人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。

もう、ぐっときましたね。自分が全部肯定されていると思った。

堕落の意味が変わった。自分なりに堕ちるところまで堕落しようと思った。私は完全に元の信念を捨てることを決めた。

どうせ堕ちてるんだからやりたいことをやろうと。文学という道が、この時初めてパッと視界が開けるように見えた気がした。

このエッセイの前置きで「文学とは自分の目の前のことを一生懸命やること」と自分の定義を示したが、これはたぶん堕落論に基づいた?影響された?思考だと認識している。私なりの堕落だ。

そう、自分なりの堕落を、生きていく上の何かの定義を、すっと植物が水を吸うように得ることができたあの感覚は忘れられない。

というわけで、難しいかもしれないけれど、ぜひ堕落論を読んで何かを味わってほしい。青空文庫で読めるよ。

個人的には、続堕落論もオススメ。言ってることは同じだと解釈しているのですが、嘘をつけ! 嘘をつけ! 嘘をつけ! のあたりは圧巻。

それにしても、自分が今更になって難しいと思った理由はなぜなんだろう。少し考えてみたい。

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